メンヘルと闘うリーマン四方山話

こんにちは。よそふると申します。当ブログへようこそ。社会人になって数度のメンタルダウンを経験。その経験談をよもやま風に語りながらこの社会をしたたかに生き抜くヒントを見つければと思います。

年賀状を出しました

正月三が日、3日目となる今日、やっと年賀状を出しました。えっ?遅くない?と思われる方もおられるかもですが、昨年から旧年中に年賀状を出すことをやめました。

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年の初めのご挨拶

「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」年の初めの大切な挨拶。一年をスタートする中で気持ちよく挨拶を交わしたいものです。年賀状は日本の伝統文化として古来より定着しています。

年賀状の歴史を紐解くと、古くは平安時代より以前から始まっていたとか。凄く長い歴史ですね。文字という文明を発達させ、それを何かに書き、誰かがデリバリーするというシステムを確立していたことは凄いことだと思います。

年が変わり、新鮮な気持ちで親しい方と挨拶を交わす。とは言え、すべての方のところまで挨拶に伺うわけにもいかない。正直なところ、先方も来られても迷惑かもしれない。自分も足を運ぶのは面倒だ。そういった中、葉書一枚で挨拶をやり取りするというのは、ある意味合理的な手段だったことでしょう。

しかしながら、インターネットが普及し、メールやSNSなどのネットアプリが日常的になった現代において、改めて年賀状という紙媒体を活用することに、どこまで合理性があるのでしょうか? 否、こういうものは合理的に考えるのではなく情緒であるという意見もあるでしょう。確かに挨拶を交わし、お互いの近況を伝えるという行為には相手の方との親交を深める目的もあると言えます。

このようなジレンマを10年くらい前から自問自答しておりまして、それでも、何となく年賀状のやり取りを続けていました。大体70枚程度です。煮え切らない私の背中を押してくれたのは家族です。「自分だけでなく、相手も年賀状をやめる切っ掛けを待っているかもよ?」という後押し。なるほど、自分だけでなく相手も同じジレンマにあるのかもしれない。ゲーム理論に出てくる「囚人のジレンマ」です。

ということで、昨年から思い切って旧年中に年賀状を出すことをやめました。ただ、単に一方的にやめてしまうのは流石に気が引けたので、新年に年賀状をいただいた方に対して、「寒中見舞い」という形で、文中に「今年から年賀状をやめます」という意味合いの挨拶を添えて返しました。この手の挨拶文も一から作成するのは難しいです。で、ここはネットの出番。検索すると出てくる出てくる。同じ考えの方は世の中たくさんおられました。

こちらの意向がどこまで伝わったかは翌年の年賀状でどれくらい届くかによります。それが今年の三が日だったわけです。大方、年内に出した年賀状は三が日の間には届くでしょうから。結果としては上々でした。ほとんどの方から年賀状は来ておりませんでした。感覚的に9割減くらい。今年、年賀状をいただいた知人には、改めて寒中見舞いで「年賀状やめたよ」返事を出したいと思います。寒中見舞いには絵葉書を使います。季節感に合うものを選ぶ楽しみもあります。

ところで、一つ失態をしてました。実は親戚関係だけは年賀状のやり取りを続けていたのですね。このことを失念してまして、慌てて年賀状を買い今日投函してきました。気を付けないといけませんね。親戚関係との年賀状のやり取りは、暫く続けようと思っております。

新しい年をスタートするための挨拶。その手段としての年賀状。メールやSNSに取って代わっても良いかもですし、無理に挨拶をこのタイミングでする必要もないかもしれません。気持ちを伝える、これが大切。やり方は人それぞれ。何事にも自然体でいきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。