メンヘルと闘うリーマン四方山話

こんにちは。よそふると申します。当ブログへようこそ。社会人になって数度のメンタルダウンを経験。その経験談をよもやま風に語りながらこの社会をしたたかに生き抜くヒントを見つければと思います。

拡がりつつ・・・

 今日の俳句です。3つほど。

『気配あり 姿は見せぬ 猫の夏』

夏の昼間の散歩道。どこからともなく猫の鳴き声が聞こえますが姿は見えず。うまく夏の暑さを凌いでいるのでしょう。

 

『盆過ぎて 仏送りし 法師鳴く』

お盆も過ぎてちょっとずつ空気が変わってきました。ツクツクボウシの鳴き声がご先祖様をお送りしているようでもあります。

 

『ボロボロの トモダチ置いて 君何処』

公園で見つけたボロボロになったサッカーボール。こんなになるまで一緒に遊んでいたのにね。早く迎えにきてほしいです。

 

 お盆の週ではありましたが、暦日とおりの出勤となったこの一週間でした。毎日、ブログ綴れるかな?とも思っていましたが、やはり体力気力とも家に帰るとHPはほぼゼロ状態。なかなか仕事をしながら平日にブログを綴るのは当面は難しそうです。ま、焦らずやっていきます。

 冒頭で3つほど俳句(川柳)を載せました。今日、散歩中に詠った句です。ツイートもしました。メンタルヘルスになってから療養も兼ねてよく歩くようになりました。歩いていると色々な景色が目に映るのですよね。で、その瞬間瞬間の情景を写実的に俳句にしてもよいかなと思いまして時折、詠んでおります。ブログ記事が書ききれなくても俳句は出来れば毎日載せていければとも思っております。さて、どこまで続けられるやら??

 メンタルヘルスになったことを出来るだけ自分自身から周囲に対して発信するようにしています。何て言いますか、メンヘルに対する偏見ってあるのですよね。誰でも罹る可能性がある病気ではあり、うつ病の発症率も1~3%と言われているのでこれは決して少ない数字ではありません。が、言い方を変えれば1~3%のマイノリティ(少数派)なのですね。

 メンヘルに限らず、病気に対してはその病気に罹らないとどういう状態かは分からないので、罹っていない人はどう対応してよいか、実のところよく分かりません。自身で体験のある病気であれば、その経験値をもって相応な対応を取ることもできるでしょう。それでも状態は人それぞれなので完璧な対応は難しいです。

 ましてやメンヘルともなれば正直罹ったことのない人にとっては、どう接してよいやら分かりません。全く無頓着なアプローチをしてくる人もいますし、その結果、メンヘルになられた方の状態がさらに悪化するリスクもあります。よって周囲は自然と腫れ物を触るがごとく距離を置くこととなります。誰だって悪者にはなりたくないですから。

 そういった変な距離感を置いてもらいたくないし、おそらく誤解も多々受けていることは容易に想像つきますので、私は自ら今の状態を発信するようにしています。自覚症状が出たときはおおむね病気に罹っていること、素人判断で治るものではないこと、本格的に治癒をめざすには完全療養することが一番であること、療養期間は数ヵ月かかること、復帰しているからと言って完全ではないこと、再発するリスクはあること、その不安と毎日向き合っていること、等々。誰でも罹る可能性はあるのですから、一人でも多くの人に正しい知識を持ってもらいたいのですね。

 そのような発信を繰り替えているうちにちょっと興味深い化学反応が周囲に芽生えてきました。自身が過去にメンヘルに罹っていたということを私に話しかけてくるようになったのです。いわゆるカミングアウトです。なるほど、その方自身もメンヘルで苦しんでいた時、まだそれなりに克服した後のジレンマ等、誰かに聴いてほしかったんだな、と素直に思いました。

 誰だって苦しい胸の内はあると思います。その苦しさや悩みを吐き出すだけで気分が安定することもありますものね。話を聴いてもらうだけでスッキリする。それは往々にしてよくあることです。

 自身の体験を周囲に拡めることで、一人も多くの方が自身の健康について考える。もしくは相互に意見を言い合う。共有しあう。集団社会における健康社会ってこういうものかもしれませんね。

 では、また次回にて。

 byよそふる