メンヘルと闘うリーマン四方山話

こんにちは。よそふると申します。当ブログへようこそ。社会人になって数度のメンタルダウンを経験。その経験談をよもやま風に語りながらこの社会をしたたかに生き抜くヒントを見つければと思います。

力加減

 職場復帰してから慣らし勤務を兼ねた短時間勤務を実施しています。大分慣れてきたので5月からさらに数時間伸びました。プラス2時間です。職場にいれる時間帯が長くなったことで、少し余裕を持った作業ができるようになりました。

 改めて実感しましたが慣らし勤務は本当に重要であり必要です。私の場合は数ヵ月間の病気療養となり結構な期間を職場不在としました。復帰に向けて生活リズムを整えるために色々な工夫をしてきましたが、やはりいざ出勤となると『決まった時刻に起床して、身支度をして、朝食を食べ、自宅を後にする』というこれだけの所作をするだけでなかなか大変です。

 メンタルヘルスの場合は、まず朝が起きれない(頭が覚めないもあれば、覚醒はしているけど身体が起き上がらないということもある)という不安を超えることが大きなハードルです。次に支度ができるか、朝食を食べれるか、玄関のドアを開けれるか、玄関の外へ出れるか、最寄りの交通機関の乗り場まで行けるか、等々。一つ一つ関所があります。

 慣らし勤務はそういった一つ一つのハードルを毎日乗り越え、無事出社して決められた時間中、職場の独特な緊張感の漂う雰囲気に触れ、無事帰宅する。その繰り返しで日々の成功体験を蓄積することで自信を取り戻すことに意味があると考えます。最初の慣らし勤務を乗り越え、勤務時間(会社にいれる時間)が延びたことは大きな自信ともなります。

 そして迎えた今月です。ゴールデンウィークもあって実質、まだ2営業日しか出勤しておりませんが、たかが2時間、されど2時間。結構、緊張度を維持することに心身のどこかに負担がかかっているのでしょう。帰宅してから結構ぐったりしています。正直、間に休みがあって良かったです。4月までのペースであれば多少時間が延びても大丈夫であろうと思っておりましたが、言うは易し行うは難し。おそらく出社している間は、自分でもなんとなく気づいているのですがアドレナリンが出まくっていてテンションアゲアゲの状態なんですね。だから必要以上に疲れが出てしまう。サラッといきたいところですがその力加減の取り方がまだまだなんです。

 勤務時間の制限もあるので何かしらの案件を抱えても当日中の対処を求められる案件に対しては責任を持てないため、自分から深入りはしないように気を付けています。その駆け引きと言いますか、仕事を依頼してくる人とのやり取りはそれなりに上手くできているのですが、自分自身への力の入り加減のコントロールは不安定ですね。今月はまだ始まったばかりなので、まさにこの力加減というところを意識してやっていきたいと思います。

 では、また次回にて。

 byよそふる

 

撤退と敗走

 前回のブログで「管理者の代わり」と題して記事を綴りました。言いたかったことは、管理者などの役職について責任のある立場の方も休みましょうよ、ということです。『滅私奉公』とか『奉仕の精神』など聞こえは良いですし、美辞麗句的な意味合いもあるかもですが、身を削ってまでその身を捧げるものはそうは多くないのではないかなと思います。少なくとも勤務している会社に対して奉仕の精神は持たない方が良いと考えます。

 ひと昔前であれば、それこそ松下幸之助氏のような経営者がいた時代であれば、終身雇用・家族型経営といった従業員だけでなく従業員の家族までその企業の一族として、従業員が退職するまで、いや年金制度まで踏まえれば退職後も企業が面倒を見るということがありました。いわゆる日本型経営。ここまでしてもらえれば、雇われの身としても企業に尽くそうという使命感が産まれても不思議ではないでしょう。

 しかし現在は全く違います。世の中が加速度的にグローバリズム化されていく中、企業も従業員一人ひとりを、増してやその家族までをも面倒を見る余裕はなくなりました。むしろ早期退職を募るくらいです。言い方を変えれば、集合から個の時代へ変容したということでしょう。つまり従業員を守るのは自分自身であるということです。

 これは管理者、経営幹部も同じです。そして個を守るための大前提は心身が健康であることです。病気にならないようにするための自己防衛、いわゆる予防医学で言うところの『一次予防』に力を入れるべきと考えます。その次に病気になりそうなとき、病気になったときにおけるそれぞれの『二次予防』『三次予防』の知識が重要となってきます。

 『一次予防』のミソは病気にならないための取り組みであり、その取り組みの一つが上手に休養を入れるということでしょう。心身ボロボロになるまで会社に貢献しても正直誰も褒めてくれませんし、それで心身を壊してしまえば元も子もありません。まさに軍事面における『敗走』というやつです。これに対して、心身が崩れる前に休養を入れ鋭気を養う。ロールプレーイングゲームで言えば、パーティが無理をせず宿屋で休息しHPを回復するといった具合です。これは軍事面における『撤退』となります。そうです。忙しい最中にこそ休息をとること、これが勇気ある『撤退』となるのです。

 『撤退』と『敗走』は全然意味合いが異なります。『撤退』は計画的です。事前に対策が打てます。疲弊が見える管理者に計画的に休みを取らせることに合わせて、その期間だけ別の人が管理業務を行うように事前手配する。このように対策を打つことで組織のパフォーマンスも維持できます。それに対し『敗走』は突発的です。ある日突然に疲弊した管理者が戦線離脱して長期不在となってしまう。それもいつ戻ってくるか分からない。職場としては不在期間の対処を全く打てておらず、その対処は後手後手に回ってしまう。結果、組織全体のパフォーマンスにも大きく影響を及ぼす。こういったことが起きてしまいます。

 勇気ある『撤退』。この言葉を常に頭の片隅に置いておきたいと思います。

 では、また次回にて。

 byよそふる

 

管理者の代わり

 私自身が現職場で管理者であり、従業員の管理監督責任を持つ立場にあります。役職で言えば、いわゆる〇〇長というものが付いている立場です。ここでは「管理者」と言葉を統一して綴ります。管理者はその職場でのすべての最終的な責任を担う立場にあるわけで、その責任のあるものが病気療養などで長期的に休むことができるものか?ということを考えてみます。

 結論から言いますと、当然、休めます。休みましょう。休んでください。私は限界となったので休みました。そしてしっかりと病気療養を取り、心身ともに体調回復してから現在の職場復帰にまで至っています。なぜ「管理者は休んではならない」と思い込んでしまうのでしょうか?それは責任感からくるものが大いにあるでしょう。

 最終的な責任者として逃げてはならないという責任感。その精神はとても美しいものです。おそらく管理者という今の立場になるために、自身なりに培ってきたスキルや努力してきたこと、苦渋の決断をしてきたこと、煮え湯を飲まされながらも歯を食いしばって成長してきたこと、色々あると思います。その中にはストレス耐性もあるでしょう。

 どのような職場、組織においても何らかの責務は当然負わされます。様々なステークホルダーとのやり取りの中でどうしてもストレスは発生してきます。責任を負うものとしてはストレス耐性は強ければ強いほどよい。そのストレス耐性があるであろうと認められたからこそ、管理者として組織に送り込まれた可能性もあります。雇う側からすればストレスに強いタフな管理者は大変ありがたい。組織が受ける苦難をその職場の責任者が止めてくれるからです。役員などの経営者が表に頭を下げるために出る必要がないからです。

 あれ??何のためにそのストレッサーに耐えているのでしょうか?自分のためですか?家族のためですか?同僚のためですか?部下のためですか?いいや、会社のためですか?その我慢は自分の身を滅ぼしてでも耐え忍ぶ価値、見返りはあるのでしょうか?ある人が教えてくれました。「会社って冷たいよ」この一言につきます。ボロボロになった従業員に対して労働法や健康保険法に基づいて、ある程度それなりの就業規則でケアや補償はしますが、『会社がボロボロになった人間を救うわけではない』のです。ドライな言い方ですが、代わりの人材は他にもいます。自分である必要はないのです。

 管理者の代わりもそうです。その気になれば代わりの管理者はいるのです。私自身が病気療養で長期離脱となたっとき、その間、業務は大きな混乱も回っていました。これが事実であり、この事実は自分にとってポジティブに受け止めることができました。管理者の立場でも休めるのだ、と。つまり普段から無理をする必要はないのです。疲れたら休みましょう。休みは取りましょう。数日間休んでも業務は回ります。長期不在でもなんとかなるのだから。であれば、しんどくなれば休み、心身を整えることで、身体がボロボロになることを未然に防ぐことが大切であるということに改めて気づきました。この気づきは健康経営を実践する上でとても重要なヒントになると思います。

 ちょっと長くなったので、続きはまた次回にて。

 byよそふる

従業員の健康管理

五月晴れ 大樹に集う 午後の空

 5月最初の日。いつもの通り近所を散策してましたら、良い感じの公園というか、大きな木を見つけました。日立のCMを彷彿とさせるその存在に一句詠んでみました。

 

 私は職場での立場は管理者であり、労働法的には管理監督者となります。管理監督者労働安全衛生法としてその職場に務める従業員の健康に配慮した労働環境を構築することが求められています。少子高齢化で働き手が少なくなっており、管理者が一人のプレイヤー、すなわちプレイングマネージャ化している状況で、従業員一人一人の安全・健康に配慮するということはなかなか難しいものもあります。そして管理しなければならない対象は一人でも増えれば、それだけかかってくる負担も上乗せされます。

 私の場合は、会社の直接雇用社員だけでなく派遣社員も多く抱えています。と言いますか、派遣社員の方が多いです。今の時代、そういう職場も珍しくはなくなったのかもしれません。直接雇用社員と書いたのは、正社員だけに留まらないからです。いわゆる狭義の正社員もいれば、地域限定社員契約社員、退職再雇用社員(いわゆる60歳超え)等々、その雇用形態は実に多岐にわたります。

 私の勤める会社は、それぞれの雇用形態ごとに就業規則・労働条件を丁寧に設定しています。ま、労働組合が強いのでそういう労働条件の整備は昔からきちんとされていたようです。ただ、規則がきちんと整備されているのは良いのですが、その決まり事がともかく多岐にわたっているため、同一事象に対して雇用形態ごとに対処できる方策が微妙に異なってきます。「同一労働・同一賃金」をもっと拡大して「同一労働・同一条件」とでもしてほしいくらい。雇用形態の多様化は管理監督者への大きな負担となっていることは間違いないと思います。

 そこに派遣社員の管理も入ってきます。前述したように直接雇用社員より多い人数です。派遣元会社も複数社に分かれるため、派遣元会社ごとに労働条件が設定されています。その内容を踏まえて、何かしらの事象に派遣先会社、つまり受け入れ会社の責任者として色々と対応する必要があります。

 労働安全衛生法としては、そこに務める従業員を一括りに見ているところがあります。厳密には直接雇用者と派遣社員などは分別されるかもしれませんが、安全・健康を配慮するという点ではその事業所の管理監督者がしっかりと見ていくことが求められます。

 私はこれらをきっちりやろうとして、やろうとし過ぎて業務量・質に対する自身のストレス耐性が限界に達しました。管理監督者が従業員の健康を気にしすぎるがあまりに自身の健康を害するという本末転倒な状態になってしまったわけです。職場に復帰して与えられる職場環境に大きな変化はありません。いかに上手にこれらのストレッサーと付き合っていくか、これが一番の課題ですね。とりあえず完璧をめざすことは捨てております。任せられるものは他に任せて、ほどほどに、ほどほどに。今月もメリハリつけてやっていくこととします。

 では、また次回にて。

 byよそふる

自信をつける

うろこ雲 もうすぐ端午節句かな

昨日の朝、通勤途中の空の模様です。鮮やかなうろこ雲が空一面に広がっていました。暦は4月下旬。来週はこどもの日だなと思ったわけですね。

 

 職場復帰して短時間勤務を続けています。なんとかかんとか短時間と言えども毎日出勤できていることに安堵してますし、家族や上司・同僚など支えてくれる人たちに感謝です。そして、自分自身を褒めてあげたいと思います。正直、いつ、朝が起きれなくなるかとか、夜眠れなくなるかとか、職場にいるときに頭がパニック状態なるか、など不安な面はずっと持ち続けています。

 このような不安から逃げないように、朝起きれずに始業時刻に間に合いそうにないときはテレワークに切り替えるとか、それでもどうしようもないときは有給を使うといったフレキシブルな手段を先に考え、産業医にも上司にも事前に相談し、同僚や部下に急に来れない・帰らないといけないということがあるかもしれないと事情を説明し理解してもらう。そういった色々なおぜん立てをした上で日々の勤務を一日一日こなしています。

「備えあれば憂いなし」「ネガティブに考えポジティブに行動する」これはリスクマネジメントの基本となる考え方です。この考え方を自分自身のメンヘル状態に当てはめるわけです。心配し過ぎなくらい心配してもよい。その対応策をしっかり考え、それが機能することを信じて自分の身体を動かす。少しでも動けば良い。成功です。その一つ一つの小さな成功の積み重ねを自信に置き換えて、徐々に徐々に自分の活力を取り戻していく。自身をつけることはメンヘル対策の大きな要素だと思います。

 マズローの5段階欲求というものがあります。その第一段階にあるのは生存欲求です。人間は生存欲求を満たすために、あらゆる手段を本能的に行おうとするそうです。しっかりと食事を摂る、体力をつけるために筋肉を増やす、物事に適切に対処するため知識をつける、といった具合だそうです。別に生存欲求を満たそうと意識してやったわけではないですが、病気療養を始めてから少し回復し意欲が出始めたとき、資格取得のための勉強や筋トレ・ラジオ体操・ウォーキングを自然とやるようになってきました。

 これらの勉強や体力づくりは今でも継続しています。特に筋トレに意識がいくとは自分でも驚きでした。あまりにも体重が増えなくなったこともあり、筋肉もみるみる落ちて、細いというより痩せていたのでコンプレックスになっていたのは確かです。気づけばネットショップでダンベルを注文し、毎日上げ下げしています。あと腕立て伏せも。別にマッチョスタイルをめざすわけではないですが、男でもありますし、筋肉がつくとやっぱり自信がつきますね。・・・そうか、やはり自信を求めているのですね。本能的に自信を取り戻すこと・自信をつけることが最大のメンヘル対策と身体が反応しているのかもしれませんね。

 では、また次回にて。

 byよそふる

管理監督者としての健康経営

雨過ぎて 窓に映るや にごり川

 昨日は結構まとまった雨の日でした。打って変わって今日はとても爽やかで良い天気。春から梅雨に変わっていく一時の過ごしやすい気候ですね。冒頭の写真は昨日の雨で増水し濁った川の模様。座ってお茶休憩しているところからの眺めです。

 

 健康経営という経営戦略の概念があります。健康経営の定義は「従業員の健康保持・増進の取り組みが、将来的に収益性等を高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」と定義されています。定義されるとすごく堅苦しい表現になり、とても文語を覚える気にはなれないのですが、要約すると「社員の健康のためにお金を出そうね」というところです。すみません。かなり乱暴な要約ですね。

 現代は少子高齢化で働き手も不足していると言われています。と言って、景気も決して良くはなく寧ろスタグフレーションが始まりだして景気後退する局面だと思います。そういう時代背景の中で、企業経営も苦しい台所事情であり、従業員を増やしたくても増やすこともできない、少ない人数で何とか凌いでいかなければならない、従業員が倒れたりするとただでさえ人が少ないのにもっと大変なことになる、といった感じで社員の健康を保持・増進することは現代の企業経営ではとてもとても大切な経営戦略であり、死活問題だと考えます。

 しかしながら、企業経営者や役員など企業の責任者がどこまでその重要性を理解しているのでしょうか?経済産業省東京証券取引所などは、健康経営の優良企業を「健康経営銘柄」として選定し公表する営みを行っています。でも、健康経営銘柄に選定される何かしらの指標がどこまで現場の職場で有効なのでしょうね?どういった指標があるのかは詳しく知らないのでこれから勉強ですが、なにか指標を良く見せるための数値合わせになっているのではないかとちょっと穿った見方をしてしまいます。

 健康経営を実践するためには、ともかく経営トップから現場へのメッセージは不可欠でしょう。それも出来れば直に伝えた方が良い。本気で取り組むんだという姿勢を見せることです。そして、他役員やミドルマネージャは健康経営とはどうあるべきかと勉強する。できれば自ら健康的なライフスタイルを示すことをやってほしい。現場は上役を見ているのですよ。

 これは管理監督者である自分自身も常に意識していることです。別に常に健康でいなければならないという意味ではありません。実際、私自身はメンヘルとなり健康を害してしまいました。それだけにその経験を経て得たもの、学んだものをポジティブに周囲に伝えていくことをしていきたい。誰だって健康であるに越したことはないけれど、もし病気となったときにどうする?といった視点で道しるべを示せれば、それはそれでとても意義のあることだと考えます。その姿勢を職場の同僚や部下たちは見ていると思うのです。

 一人の管理監督者からでもやれる健康経営。こういう形での経営参加もあるのですね。

 では、また次回にて。

 byよそふる