メンヘルと闘うリーマン四方山話

こんにちは。よそふると申します。当ブログへようこそ。社会人になって数度のメンタルダウンを経験。その経験談をよもやま風に語りながらこの社会をしたたかに生き抜くヒントを見つければと思います。

管理者の代わり

 私自身が現職場で管理者であり、従業員の管理監督責任を持つ立場にあります。役職で言えば、いわゆる〇〇長というものが付いている立場です。ここでは「管理者」と言葉を統一して綴ります。管理者はその職場でのすべての最終的な責任を担う立場にあるわけで、その責任のあるものが病気療養などで長期的に休むことができるものか?ということを考えてみます。

 結論から言いますと、当然、休めます。休みましょう。休んでください。私は限界となったので休みました。そしてしっかりと病気療養を取り、心身ともに体調回復してから現在の職場復帰にまで至っています。なぜ「管理者は休んではならない」と思い込んでしまうのでしょうか?それは責任感からくるものが大いにあるでしょう。

 最終的な責任者として逃げてはならないという責任感。その精神はとても美しいものです。おそらく管理者という今の立場になるために、自身なりに培ってきたスキルや努力してきたこと、苦渋の決断をしてきたこと、煮え湯を飲まされながらも歯を食いしばって成長してきたこと、色々あると思います。その中にはストレス耐性もあるでしょう。

 どのような職場、組織においても何らかの責務は当然負わされます。様々なステークホルダーとのやり取りの中でどうしてもストレスは発生してきます。責任を負うものとしてはストレス耐性は強ければ強いほどよい。そのストレス耐性があるであろうと認められたからこそ、管理者として組織に送り込まれた可能性もあります。雇う側からすればストレスに強いタフな管理者は大変ありがたい。組織が受ける苦難をその職場の責任者が止めてくれるからです。役員などの経営者が表に頭を下げるために出る必要がないからです。

 あれ??何のためにそのストレッサーに耐えているのでしょうか?自分のためですか?家族のためですか?同僚のためですか?部下のためですか?いいや、会社のためですか?その我慢は自分の身を滅ぼしてでも耐え忍ぶ価値、見返りはあるのでしょうか?ある人が教えてくれました。「会社って冷たいよ」この一言につきます。ボロボロになった従業員に対して労働法や健康保険法に基づいて、ある程度それなりの就業規則でケアや補償はしますが、『会社がボロボロになった人間を救うわけではない』のです。ドライな言い方ですが、代わりの人材は他にもいます。自分である必要はないのです。

 管理者の代わりもそうです。その気になれば代わりの管理者はいるのです。私自身が病気療養で長期離脱となたっとき、その間、業務は大きな混乱も回っていました。これが事実であり、この事実は自分にとってポジティブに受け止めることができました。管理者の立場でも休めるのだ、と。つまり普段から無理をする必要はないのです。疲れたら休みましょう。休みは取りましょう。数日間休んでも業務は回ります。長期不在でもなんとかなるのだから。であれば、しんどくなれば休み、心身を整えることで、身体がボロボロになることを未然に防ぐことが大切であるということに改めて気づきました。この気づきは健康経営を実践する上でとても重要なヒントになると思います。

 ちょっと長くなったので、続きはまた次回にて。

 byよそふる