希死念慮
『愛猫の 魂旅立つ 初夏の朝』
昨日の朝、飼い猫が息を引き取りました。今月上旬から体調を崩し、19歳という高齢であること、既往症を持っていることなど複合的に誘発して徐々に体力を奪われていった模様です。死が近づいていることを当人も分かっていたようですが、命尽きるまで精一杯、今を生きようとする力にたくさんの気づきをもらいました。我が家を選んでくれて、ありがとうと伝えたいです。ありがとう。
今回は、タイトルに『希死念慮』を選びました。希死念慮とは「死にたい」という気持ちが生まれるが、具体的な方法までは考えていない状態です。希死念慮と似た言葉に『自殺念慮』というものがあります。これは希死念慮より強い「死にたい」という気持ちであり、具体的な方法を考えている、もしくは何かしら準備を進めている状態で、希死念慮より危険な状態です。
冒頭に飼い猫の死について綴りました。体調的には非常にしんどい状態だったと思います。物言わぬ動物だけにどれだけの身体の苦しみを持っていたのか、分かる術もありません。看取る側としては少しでも苦しみを緩和して、できるだけ楽な状態で命を全うさせてやりたいという思いだけでした。
人間以外の動物はおそらく自ら「死にたい」と思うことはないような気がします。その命尽きるまで、最後まで自力で排泄しようとし、出来得る限り口からモノを入れようとしていました。そういった当人ができることを精一杯やろうとする行動には、ただただ頭が下がるのみ。おそらく当人の頭の中には「死にたい」という気持ちは一切なかったことでしょう。何度も書きますが、与えられた命が尽きるまで一所懸命にその時その時を生き抜こうとする、迷いなき「生きる」という力。これが動物の本能なのでしょうか。小さな生き物から沢山のことを学ばせてもらいました。
おそらく『希死念慮』『自殺念慮』という気持ちは、人間だからこそ持つのでしょう。言い方を変えれば、人間だからこそ持つことができる、ある意味特権なのではないでしょうか。メンタルヘルスで心が弱っているときに、つい「死にたい」という気持ちは出るのは自然のことだと思います。そう思うことが心が休まるのかもしれないし、もしかすると自分自身を守る防衛本能なのかもしれません。
そう、自己を守るために使ってほしいのです。思うことは人間として自然のこと。思うことで心を少しでも楽にする方向に持っていってほしい。でも、決して衝動的な行動だけには走らないようにしてほしい。そこは、動物たちが本能で持っている命尽きるまで「生き抜く」という本能を人間も出してほしいと思うのです。
飼い猫の命が天寿を全うした様を見て、こういったことを思った次第です。大きな気づきをありがとう。
では、また次回にて。
byよそふる