メンヘルと闘うリーマン四方山話

こんにちは。よそふると申します。当ブログへようこそ。社会人になって数度のメンタルダウンを経験。その経験談をよもやま風に語りながらこの社会をしたたかに生き抜くヒントを見つければと思います。

【今日の川柳】蒸し暑い

今日の天気は雨模様。降ったり止んだりでとても蒸し暑い一日でした。体力づくりのため通勤の片道を歩いておりまして、その歩いている中で浮かんだ川柳を2句紹介します。

 

「雨上がり 不快指数も 右上がり」

 雨が上がるのは良いですが、上がらなくて良いものも上がっています。

 

「蒸せるほど 脳がアイスに 支配され」

 もう汗だく状態でとにかく冷たいモノが欲しいという欲求MAX状態でした。

 暑さに負けず脳の中はクールでいきたいものですが、この煩悩には勝てない・・・

 

激太り

 前回のブログで、私自身が過去のメンタルヘルスのときに躁うつ病を発症していたのではないか、ということを綴りました。今回はそのときの状況についてもう少し詳しく綴ってみます。

 躁うつの状態となったときのことを語るには、2度目のメンタルダウン時の状態から語った方が説明しやすいです。2度目のメンタルダウンは1度目の再発のような形でした。1度目から2度目の間の期間も1年くらいでしたので多分再発だと思います。ここら辺を「思います」としか書けないのが辛いところです。きちんと専門の病院で診察を受ければ良かったと今思えば反省です。

 2度目のメンタルダウン、これはうつ状態のみ続いていましたのでおそらくうつ病だと思います。ただし病院にはきちんと通っていません。とにかく日中帯が眠くて眠くて仕方がない状態でした。おそらく夜の睡眠の質はよろしくない状態だったのだと想像します。オフィスのデスクに座っていると、いつの間にか寝落ちしてしまう。眠ってはいけない、眠ってはいけないと思えば思うほど、ふっと意識が遠くなり眠ってしまう。座りながら寝てしまう。あの感覚は今でも思い出すとゾッとします。何が私の身体で起きていたのでしょうね。

 当時の上司も私のそのような状態を心配して病院を紹介してくれたりしました。で、その病院にも診察を受けにいったりしたのですが、なんでしょうね。合うような、合わないような。漢方的な治療のような気もしましたが、薬に頼るのではなく人間の身体の内面にある力を引き出すような治療でした。ま、結局は段々と通わなくなってしまうのですが、、、

 ただ、その病院の待合室にある書籍にあった言葉を目にしたとき、「これだ!」と直感で感じました。その言葉が『認知行動療法』です。認知行動療法とは端的に言えば、ストレッサーとなるものに対して『認知の修正』を行い、ストレッサーをストレッサーと認知させないようにする方法。物事への考え方やとらえ方を変えると言いましょうか。特に根拠はないのですが、この方法なら自主的にできそうだと思ってしまったわけです。

 「自分でできそうだ」と根拠もなく思い込み、おそらく本当は治っていないのだけれど「治ってきた」と自分に言い聞かせるようになってきました。傍目にはどう見えていたかは推して知るべしですね。そして、とにかく食事をよくするようになりました。食べる、食べる。一日四食以上ですね。夕食を食べたあと、数時間後に夜食を食べるのは当たり前の状態でした。私の身長は175cm。現在の体重は63kg。しかし、そのよく食べだしたころの体重はピーク時が84kgです。まさに過食のみを繰り返すパターンの過食症の状態でした。

 長くなったので、続きはまた次回にて。 

 byよそふる

 

 

【今日の俳句】富士山で3句詠みました

今日は富士山をテーマに3つほど。

ツイートで流れてくる富士山の写真を見て詠みました。

 

◇棚田

「富士仰ぐ 八十八夜の 棚田かな」

 棚田のはるか向こうに富士山が大きくそびえ立っていました。

 

◇逆さ富士

「薄曇る 様の逆さ富士 鮮やかに」

 薄曇がかかった富士山。湖の水面に映された逆さ富士がとても綺麗でした。

 

◇雪化粧

「かわたれに 白塗り化粧の 富士映える」

 朝焼けに照らされた雪化粧した富士山です。なんか可愛いなと思いまして。

 

以上、お粗末でございました。

躁うつ病

 私は今回のメンタルダウンとは別に、社会人になってから2回メンタルダウンをした経験があります。この2回のメンタルダウンは連動しています。1回目のメンタルダウンのケアを中途半端にしてしまったため、2回目は再発してしまいました。今から20年ほど前になりますね。その当時は自分なりに色々調べて、病院を探して受診してと対応しましたが、今振り返るとあまり上手な対応はできていなかったと思います。病院を自力で見つけて受診まで至ったのは良いけれど、病気療養すべきかどうかの判断と言いますか、頭から選択肢にありませんでした。つまり何かしら薬を処方してもらえれば自然と治癒するくらいの感覚でした。実際にはそうはいかないのでズルズルと長引かせてしまった次第です。

 治っているような治っていないようなよくわからないフワフワした状態でただ惰性的に病院受診し薬を処方してもらっていた記憶があります。診断書をしっかり作ってもらえれば、会社とも相談して就業規則に則ってそれなりの対処もできたでしょうが、当時は全くそういった面への知識も関心もありませんでした。ですので、全部ひとりで抱え込んで会社にも黙って治療を続けるという。。。よく変なことにならなかったと思います。

 ま、結局は仕事にも支障が出始めましたのでそれを見かねた上司の配慮もあり、少しまとまった有給を取って休んだりしましたが、今回のようなきちんとした療養プログラムでもなんでもなく、ただ休むって感じでしたね。上司もこの手の知識はほぼなく、そして無関心でしたので。そもそもメンタルダウンの原因はその上司だったりするわけですがね。。。難しいものです。

 さて、タイトルに躁うつ病と書きましたのは、過去2回のメンタルダウンの状態を、今現在、診察でお世話になっている主治医の先生に話したとき、先生の一言が頭に残っているからです。主治医の先生はこう言われました。「もしかしたら、躁うつだったかもしれないですね」・・・ん!?躁うつ?うつ病でなく、躁もあったってこと?

 躁うつ病は、うつ病と名前が付いているため、うつ病と同じ類に見られがちですが、全然異なります。うつ病うつ状態がずっと続いている状態。それに対して、躁うつ病躁状態うつ状態が繰り返しで発生します。うつ状態は何もする気がでないなど言わば「静」な状態。躁状態はなんでも自分はできると思い込んでめちゃくちゃアクティブになる「動」の状態です。正直、躁状態になると何をしでかすか分からないので、本人だけならいざ知らず他人にもかなり迷惑をかけてしまうので、なかなか厄介な病気です。また躁状態は本人は元気いっぱいなため、病気が治っているとか、そもそも病気になど罹っていないと思い込んでしまうので、薬も飲みません。ですので、治療も上手く進まないといったこともあるそうです。

 さて、私の場合はどういったところが躁状態だったのか。長くなりましたので続きは次回にて。

 byよそふる

 

【今日の俳句】初夏

「衣替え してもし足りぬ 初夏の午後」

 

初夏と言えども暑いものは暑いですね。スーツも夏仕様に変えたところですが、気温はそれを上回りました。日本の夏は今年も暑そうです。

切りを付けない

『仕事の切りを付ける』という言い方があります。仕事の一段落を終わらすとか、区切りの良いところでおさめるなど、ある一定の目標点をクリアすることを指しますね。この表現は使われる方は多いと思います。私もその一人。そして仕事の効率的なやり方として『切りを付ける』ことはとても大切なことと考えていました。ところが、『切りを付けない』方が実は良い、そういう話です。

 このことは、今日、ツイッターのタイムラインで流れてきたツイートでつぶやかれていました。書かれていたことは「仕事や作業を中断するときは『切りが悪いところで止める』を意識した方が良い」ということ。切りが悪い状態ですと次の段取りを脳が無意識に考え、処理するため良いアイデアが生まれるそうです。

 このツイートを目にしたとき、「これだ!」と直感で思いましたね。確かに切りが付く方が良いんですよ。仕事の進み具合も的確に把握できますし、とにもかくにも一段落することで気持ちが落ち着きますのでね。その安心感を得るために丁度良い塩梅で区切りをつけようとするのです。では、なぜ『切りが悪いところで終わる』方が良いと思ったか?もちろん上述したような副次効果もあるのでしょうけど、私が直感で感じたこと。それは『〇〇時までに△△まで終わらせないといけない』という時間圧から解放されるということです。

 時間圧、、、これは相当のプレッシャーでありストレッサーですね。常に締め切りに追われる状況は心身ともによろしくないです。もちろんお客様とか取引先との約束事で絶対に守らないとならない期日はあります。そういうビジネス上の約束事はちょっと別として、自分自身でコントロールできるものについて考えます。今、自分が抱えている案件などで、今日中に仕上げなくても良い場合。切りのいいところまで作業ができれば御の字ですが、そこまでやろうとすると後1時間はかかりそう。時刻は退社時間になってしまった。さてもうひと踏ん張りして1時間残業して切りをつけるか、いやいや、今日は定時退社で切り上げて続きは明日頑張るか、といった具合です。

 何を言いたいか。自分が持っている時間を上手にコントロールしましょう、ということですね。ちょっと1時間頑張って丁度良いところで切りを付けた場合と、切りは悪いが定時退社してアフターを別のことに活用できた場合、もしくは疲労していた身体のケアができた場合などと比べたときにどっちが良いですか、ということです。有限な時間を何に充てるのが自身にとって有益か。自分本位で考えましょう。

「今日は切りが悪くてもいいや」という意識が頭の片隅に少しでもあれば、ちょっと余裕をもったタイムサイクルを回すことができるかもしれませんね。「切りを付けない」勇気。持ってみたいと思います。

 では、また次回にて。

 byよそふる